投影業と反射業

一九九二年十月六日 尊師と集う会18     於・第二サティアン3F

 

 人間のカルマには投影業、そして反射業の二つがあると。
 この投影業とは何かというと、例えば、ある魂が前生において聖者であったと。そしてその聖者の記憶修習によって、その身が壊れたと。で、次の生は何になるんだと。その前生のカルマによって次の生はより偉大な聖者となると。つまり一つの物体に対して光を当てたとき、その影がその光の当て方によって大きくなるのと同じようにカルマが投影され、そしてそれによってより偉大な状態になると。これはまさに、例えばここに修行者がいて、その修行者が死ぬ前に天界の経験をしなくて、次の生に天界の経験をすることはあり得ない〈と理論、〉という理論の裏づけでもある。つまり、もし来世天界へ至るだけの資質が備わっているならば、当然今生において、その要素は現象化するはずであると。次に、例えばここに修行者がいて、その修行者が一切の形状の経験をせず、ただそこには光および色の表象しか存在しないという空間無辺境にとどまった場合、その魂は次の生において空間無辺境にとどまることができることを表わしている。これが投影業である。
 では、反射業とは何かと。反射業とは、例えばある人に苦しみを与えると。そうするとその苦しみのデータが自分の中に根づくと。そしてそれが現象化する状態を表わす。つまり投影業とは、今生から来世においてどのような流転をするかを表わすカルマの状態であり、反射業とは瞬間瞬間における他と自の関係を表わすカルマの関係であるということができる。そしてこの投影業と、それから反射業の両方についてしっかりと熟知するならば、今自分自身が行なっていること、そして自分の来世、そして自分自身の経験の構成から、例えば今生どのような方向に向かい、どのような苦しみが現象化するのか等がよく理解できるはずである。そして、この投影業あるいは反射業のスピードの速さをサットヴァの度合いで表わすと理解するならば、よく理解できるはずである。

No feedback has been posted yet.

Comment on this entry

Registered users may login here




Graphical Security Code